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My Heisei Era Part 3(Final) 2011>>2019.4 ... and Next...

最終回ということで、
今回からは現在の自分の言葉だけで書いてみたいかと思います。

 

平成23年(2011)
震災。
本当に驚きました。

当時住んでいた家に戻ったのは、
3/12の朝。
私は地震があった時は、ちょうど月1回の自社への帰社日であり。

リーマンショックもなんとか乗り越え、
会社の経営もある程度元に戻り、
これからもこの調子で行きましょう!と会社の会長から
挨拶があって、全体会議が終わった直後、
ビルが揺れ始め、そしていつもより強く揺れ、慌てました。

あの時「なんで、こんなに揺れているのに、
最近整備されたという【緊急地震速報】っていうのが
町のどこからも聞こえなかったんだろう」と
私は口走った記憶があり。
こんなに大きな地震を体験したのは初めてでした。

毎日のようにテレビで流れてくる被災地の情報。
流されていく家、町、泣き叫ぶ被災者の方々。
辛くて、家で見ていて思わず泣いてしまったことがありました。

自分のところも揺れたけど、
大した被害はなく、なんとか自分は大丈夫だった。
東北地方では亡くなった方、行方不明になった方がたくさんいらっしゃる。
生きることができた自分。
生きていること、家族や友人も元気であること、
感謝しなきゃな、と、思い始めました。


仕事面では、当時いた現場でも
時々、突然ビルが激しく揺れて、何度も驚いた記憶がやはり一番強いですね・・・
職場の若手にすごく嫌な子がいたなー。
初対面で同じメンバーなのにやたら勝手に仕切ってくる女の子・・・
相当ストレスがたまった。
でも、震災が起きてから彼女はしょっちょう休むようになり、
裏で、職場のリーダーの方々から「彼女が調べた内容がめっちゃくちゃのぐっちゃぐちゃなので
申し訳ないが、(私に)代わりにやり直してもらえないでしょうか?」と
頭を下げられたことが。

彼女はやがて契約終了になり(させたれたらしい)、これで一応
不安要素なく作業はできたのだが、担当していた作業がまぁ意味がわからず、
業務が難しかったのかも。

この頃から「もう少し、自分のやっている作業を
年齢的にも少しレベルを上げてやっていかないといけないんじゃないかな」と
思い始めた気がしております。

 

 


平成24年(2012)
この年の春から、プログラミング言語Java」を使った仕事を
しっかりやろう、と思い始め、
会社の営業部にも新しい人が入り、そのようなしっかりした案件を取っていただき、
無事そこに配属できました。

その案件において、どのような業務をしているところが使うシステムで、
どのような改善案件であり、
そこでの設計、製造、テスト、というのはどのようにして行っていくのか、
ということをやっと、意識してやり始められたと思います。
ただ。

時々、プロジェクトにいらっしゃる人で、
本当にありえないくらい、人に対する態度が傲慢で失礼な人が多くて、
ここまでして私は酷い扱いを受けなければならないのだろうか、
と、不安になることが多かったです。
もちろん、名前は出せないですが、
大手企業の40代くらいの男性の方が、私がやったことを、延々と私の前に立って説教して叱り続けてきたりとか
自分と同い年くらいの男性の方が、一切私と目を合わせず会話もしてこずに、隣の席の私に文句のメールを送り続けてきたりとか
本当に、そのようなことが、ありました。
本当にこんなことがあっていいのだろうか。疑問に思い続け、
辛い日々が続きました。

辛かった日々が終わった最後の日に、金沢へ一人旅できたのが楽しかったです。
雪が降っていたなぁ。白子の天ぷらがとても美味しかった。
年の最後に、博多にも初めて行った。

あと、この年の自分の誕生日に
初めての姪っ子が生まれるという、嬉しい偶然がありました。

 

 


●平成25年(2013)
この年に知り合った人々は、家族のように仲良くしてくれて、
昨年とか、ここ最近振るわなくて、
やる気もなくして、スキルがつかなかった私に
勇気を与えてくださった方々に、なりました。

ある銀行の案件を1年ほどやっていたのですが、
私、大したこと全然できてなくて、その前の年に嫌な人に
イヤミを言われるのがもう、トラウマになっていたけど耐えていましたが、
ここで知り合った方々は
「どれだけ(私に)救われたことか」と飲み会で言ってくださったり、
何か小さな機能の確認が終わっただけでも、飲みに誘ってくれて
「いつも大変な仕事、本当にありがとうございます」と言ってくださったり、
ここまで優しくしてくれる人って、いるんだなぁって思いました。

プライベートなこともたくさん話すことができました。
それゆえ、仲良くなりすぎて、
その後、ややこじれたなんてこともありますが、
お仕事やご家庭が忙しくとも、
このメンバーでいると、大体いつも終電を過ぎます(笑)。
次会えるのはいつかわからないけど、
これからも仲良くしてくださいませ。


この辺りから、朝ドラを見るになったなぁ。
あまちゃん」と「ごちそうさん」がやっていた時期だったなぁ。

 


平成26年(2014)
この年も、色々な案件に行ったけど・・・

一番印象に残っているのは、
やはり、あのマネージャーの
チームメンバー全員へのパワハラがすごかった案件かな。
ドラマみたいだった。
マネージャーが突然クビにされ、
管轄の上層部がメンバー全員に揃って謝罪する、という。

でも、おかげで、その後、
メンバーととても仲良くなれて、
こちらも家族のように接することができました。
今でも繋がりあって、たまーにゲームの通知がとんでくるな(笑)。

何気にその案件も業務は結構難しくて、
そこでかなり長く色々経験できたから、ラッキーとは思えた。
仲良くやっていければ、自分もまぁ力、発揮できるんじゃん、って思えた。


プライベートでこの年に
昔やっていたピアノを久しぶりに始めたりとか、
英国留学に憧れて、そのための英会話とか、IELTS試験なんかを受けたりしたりとか
結構がんばったり、楽しんだりしていたら。
お金がなくなってしまったので、
IELTSを受験して、点を見てから、留学の方は諦めたような。
点はあとちょっとで行けそうだったけど、結局ダメだったような気がする(笑)。

今思うと、自分の存在を自分自身で守ろうと必死だったな。
でも、それがあるから今があるのかなと。

サントリーホールの小ホールでピアノが弾けたのは楽しかったな。
見に来てくださった方々、ありがとうございました。

 


平成27年(2015)
前年やその前の年なんかに嫌な目にあったことを
やがて、「パワハラ」という正式用語で世の中で言われるのが増えてきて。
それは自分の甘えではなく、「パワハラをする人が一番悪いから、
ちゃんと権力ある人に相談していいよ」という
ルートがわかったわけでありますけど。

言ってもちゃんと対処してくれなかったりとか、
なんだかんだで私を責めたりするところがあったりとか、
そこまでしてこの会社にいる必要、あるかな?と思ったりして、

秋ごろ、新卒から長く勤めていた自社を、退職する決意を固めた。
部長と自社のドトールで話し、受け入れてもらえた。
部長は、私の意見には納得してくれる感じで、
感覚も一緒だった。
今思うと、営業と上層部に全然恵まれていなかったな。

昨年抱えていたある辛い思いから離れられるきっかけとなる
別の出来事があった。
別へ切り替えることって大事だな、って思った。

 


平成28年(2016)
前の現場繋がりで知っていた会社へ転職することになった。
もともと転職するときは、違う会社へ行く予定だったが、
なんと、急に裏切られるというできごとがあって、
本当に腹が立った。
言い分を聞くと、すごい向こうの都合のいいようなことを言われて、
面と向かって一見優しそうな女性の方に
「あなたみたいな人、二度と会いたくありません。」と直接伝える機会があるとは
思わなかった。

まぁ、なんとか拾ってもらえたので、
転職間の有休消化ができたのだが、

そこで行った、ロンドンの旅行に胸を打たれた。
詳しくは別の日記記事にありますが、
一人旅で行ったけど、本当に良かった。
一生忘れられない旅になりました。
中高大とずっと好きでやってきた英語が、
初めて活かされた場だと思えた。
ビートルズAbbey Road Studioの壁に落書きできたことが思い出。

あの旅行で結構色々人生が変わったような気もした。
携帯の待ち受けが、あれ以来ずっとビッグベンで
3年経った今も変わらない。

仕事では、前の現場に戻るだけで、
知り合いも多く、安心かな、と思いきや
前に仲の良かった人(女性)が、まるで昔のことを全部忘れてしまったかのように
冷たくなって、私への扱いが酷くて驚いた。
許せなかった。
仕事はできるらしいが、心から許せないと思った。

嫌だな、と思っていた頃に、同じ現場で
別の大きな案件のメンバーとして入り、
将来この人のようなリーダーになれたらいいだろうな、という
雰囲気の人と仕事をすることができた。
結構意気投合できたので、この感じで仕事をするのが
きっとベストなんだな、と思えた。

転職してしばらくしてから、Java SE 8 Silverの試験に合格した。
Oracleベンダーの試験は初めてで、受験料も高くて緊張したが、
無事合格できて、受験料は会社が出してくれました。
その会場で、なぜか全く別の試験を受験しにきていた大学の同期と会ってビックリした。

 


●平成29年(2017)
長くいた同じ現場はあることをきっかけに離れることになり、
ここらで「もう、人さえ良ければ何の案件でもいいです」といった希望しか
持てなくなり。
自社の人とは仲良かったけど、なんだかそれ以外、色々微妙かなと思うようになってきました。

秋に配属された、初めて参画した現場がとてもよくて、
毎日定時あがりすることができた。
リーダーが若く、無駄がなく、
相談しやすかった。
他に、一緒に入っていた少し年上の沖縄から来た男性がおり、
その人の働き方を見ていると、「しっかり真面目に業務に取り組んでいれば、
あとの業務は適当でいいな」と思えました(笑)。
それゆえ、時間が結構できて、
半年くらい、資格試験の勉強をすることになった。
だんだん、はまっていったような。

朝ドラ「ひよっこ」と、終盤あたりになってから
大河ドラマ「おんな城主 直虎」にはまっていたなー。

 


●平成30年(2018)
前の年に始めた資格試験の勉強がなんと、功を奏し、
無事に、応用情報技術者に合格をしまして。
驚きました。

春までいた、前の年の秋からいた職場はもともとの約束通り、
半年で卒業になってしまったけど、
案件があれば、ずっと長くいてもらう予定だった、と残念がっていただけて、
とても嬉しかった。
卒業する際、花束までいただいて、本当に心から嬉しかった。

その後、移動したところだったが、
なんか、リーダーの人が鼻につくような嫌さがあった。
「これくらい知っていて当たり前」ということを
参画一週間目で言い放っていた気がして。
最初の2か月ほど、正直言って、そのリーダーにだいぶ苦しめられた。

ただ、作業の流れが把握できるようになれば、
自ら切り込んで進めるようになり、慣れてからしばらくしては
何も指摘されることもなく、スムーズに進んだ。
でも、他の案件では、若手のメンバーがやはりそのリーダーに苦しんでいて、
早い人で3か月くらいでさっさと退陣してしまったできる男性の方がいらっしゃった。

私は慣れてきた頃で残念ではあった。
案件がひと段落し、夏になると、毎日、なんか知らないが
体の各所に変な痛みが出るなど、体調優れないところが多くなってしまった。
検診や婦人科検査では変なことは指摘されずに良かったが、
疲れを感じていたのかもしれない。


秋頃、またリーダーとうまくいかないことがあり、
何かと毎日3時間くらい説教を受ける目に遭い。
2011年、12年くらいに納得のいかなかった時間の再来を
改めて感じた。
自社の営業に相談しても、誰も助けてくれず、
むしろ、怒られた。甘えてる、と。

全く納得いかない、の前に、気づいたら、
誕生日を過ぎてしばらくした後、気づいたら
職場に行こうとしている足が、帰宅の方向へ向いていた。
怖くて、職場に行けなくなってしまった。

お医者さんに「もう行かないでください」と止められた。
そのまま、年末を迎えることになった。

助かったけど、微妙になってしまった。
そして、実家に電話して、現在の自社を退職する方向にしたいと伝えた。

この時、たくさんの方々に相談して、
とにかく辛い場所からは逃げたほうがいい、とだけ言ってもらえました。


秋に応用情報の1つ上となる、高度試験の1つを受けたが、
試験会場で窓際に座って西日がひどくて焦る、というトラブルで
うまくいかなかった(笑)。

 

平成31年(2019)
平成ラストイヤー、貴重なわずか4カ月。

いやぁ・・・

すごい不思議な期間でした。
最初の3か月、全く働かなかった。
最後の1月、新しい技術ばかりを学ぶ研修。


最近のことすぎて、もう詳しい記事は別で書いたのでそっち読んでくださいねー
という感じかしら(笑)
朝ドラ「まんぷく」に、毎日元気をもらっておりました。

とりあえず、AI開発をしている会社へ転職できて、良かった。

プライベート?
生きてるだけで、儲けものと思えました。

沖縄の桜を初めて見ることができて良かったな。

 

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というわけで。
大体10年ごとに分けて、綴ってみました。

最初の記事2件分は、載せている時事画像を見ながら
書いていたりもしていたんですが、
今回は何も見ずにバーーーッと書きましたが。

一応、SEなんですが、とは思えないくらい
人間的な内容の文章が多かったような気がする。


うちの姉妹や周りの友人は、
結婚、出産、育児、育児からの復職、冠婚葬祭、転職など
色々経験しているところもありますが
私は、平成のうちはずっと進学と仕事とその他だったかな(笑)。

まぁ・・・
色々ありますが、
今は親も老いて、
家族の問題などもありますが・・・

自分としては、
常にやりたいな、なりたいな、と思うところを目指せてこれたし、
平成に起こったこと、後悔はあったかもしれないけど、
素直に

「今、これで良かったな!」

と思っております。


平成最後、このように
豊かな気持ちで、記事を綴るような社会にしようとしてくれた
天皇陛下には感謝の思いでいっぱいです。
そこは、昭和の終わりを幼稚園時代に見れた私としては
より感謝の思いが強いです。

 

新時代、令和。

災害少なく、天候に恵まれ、
皆様と皆様のご家族、ご親族、ご友人、
皆、健康で豊かに、素敵な日々を一日でも多く、過ごせますように。