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ベトナム ホーチミン旅行 PART.2

【2日目】2016-09-26(月)

さて、2日目です。
本日は安全によりいっそう気を付けて…(そればかり)

本日は、メコン川クルーズ!!が、メインイベント。
予め、日本にてネット予約していたオプショナルツアーです。

ホーチミン中心部の大きいホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせをして、
1時間強かけて、クルーズ乗り場へワゴンで移動。

メコン川。ミルクティーの川と言われてるのかしら。


離島に到着すると、
ココナッツの木がありました。

ちょっと歩いて、ハチミツを取得している広場へ。

 

ええっ、怖いんだけど。。。
でも、お姉さんいわく「ここのハチは刺さない」と。
でも最後まで信用ならんかった。
でも最後まで刺されなかった。。。

 

勧められたハチミツを500Ml購入し、
帰国してからすべて使い切りました。ヨーグルトに入れて食べたり。

ヘビを首からかけるパフォーマンス。
私はやらなかったけど。。。


こちらは「ココナッツキャンディ」を作っている手工場。
最初「工場」と聞いたので、機械があるのかと思ったら
マニュファクチャリングでした。

 

試食したキャンディが、まだ温かいハイチュウのような感じでとてもおいしかった。
袋詰めしてからもこの食感をキープしてほしかったのですが、
それは難しかったようで・・・

家族、友達、職場へのお土産として
40個入りを4袋くらい買って帰りました。
ちなみに、1袋、日本円で150円ほどです。。。。。


フルーツを食べつつ、アオザイを着て歌を歌っている人の歌を聴いたり。


手漕ぎボートにも乗りました。
これぞ、大自然な感じ。

 

 

 

 

歌手の人や、他のボートの漕ぎ主などからも
ひたすら「チップ、プリーズ」と言われまくるのだが、
一体この人たちはどのように生活をしているのだろうか。
まぁ、予めガイドさんから「払わないでください」と言われてはいたんだけども。


メコン川をあとにし、
ツアーに込まれているベトナム料理のコースランチを。


この丸いものは、
「揚げ餅」で、ハサミをいれ、切ると、揚げ餅になっていくのです。
おいしかった~。この食感、大好き。


大きいお魚。


このランチは大満足でした。
ランチのレストラン回り。


この後は、ホーチミン中心部に戻り、
中華街のお寺へ。
なかなか不思議な雰囲気でした。

これ、お線香みたいですね。

結構楽しめたかも。


オプショナルツアー終了。
だいぶ疲れが、ということで
ガイドさんオススメのマッサージ店へ。
「ホットストーン」マッサージを体験しました。

お店の雰囲気


もう、マッサージされ中はほぼ寝てました(笑)


疲れが取れたーー、と思って
夕飯かな、と思ったら
外は

大雨!!!

 

結局、タクシーから降りれず。
途中、タクシーも止まってしまい、
どうやら道のどこかで冠水がひどくて立ち往生だったとのこと。
立ち往生の1時間後、道を引き返し、別ルートで
なんとかホテルへ戻る。


幸い、ホテルの前は冠水していなかったので、
無事に部屋に戻れました。
本日の外出はこれで終了で仕方なく。

ルームサービスのご飯を食べることにしました。


ルームサービスって、高額なイメージなのだけど、
ベトナムだと破格の安さでした。
カレーが食べたかったのだけど、人気なのか売り切れ御免。
なので、シンガポールチキンライスに。

 

でも、
結構ボリューミーでおいしかったですね。


翌日の観光最終日は、本当は「ブンタウ島」に行く予定だったのだが
ガイドさんに「あんな怪しいところ絶対やめたほうがいい。危険。」と
言われたので、これ以上危険な目には遭いたくないし、
最終日は「ショッピングの日」にすることにしました。

3日目へ続く。

ベトナム ホーチミン旅行 PART.1

9月末のことなのですが、
大学の友達とベトナムホーチミンへ旅行してきました。

言い出しっぺは自分。
アジアの、中国以外の国に、以前から行ってみたくて
近年テレビでよくホーチミンが取り上げられて、
興味がわいていました。
バイクの国、というイメージが強かったですけど。

3泊5日で、出発は夜、帰国は昼。
フルで観光できたのは、3日間でした。


では、順に綴っていくとしますか。
今回は出発と1日目。


【出発】2016-09-24(土)

出発は30分ほど遅れたような。
6時間も乗る国際線、というけど、
ベトナム航空の飛行機、だいぶ国内線的な造りでした@@;
モニターが一人一つ、テーブルになかった。。
友達がいなかったら、退屈だったかもなー

外観はきれいでした。
写真はないけど、CAさんの制服はアオザイだったかな。

 

機内食は食べれました。
後日、修学旅行で食中毒騒動が起こったらしいですが。。。

そんなこんなで、無事タンソンニャット国際空港に到着。

初めてのタクシーにドキドキしつつ無事に乗り、
ホテル到着してすぐに寝たかなー。
私は翌朝にシャワーを浴びた。
浴室とトイレはとてもきれいでしたね。

 

【1日目】2016-09-25(日)

 

1日目、ホテルの朝ごはん。

海外のホテルの朝ごはんって、基本的に全く期待しないのだけれども、
ホーチミンは今までで一番良かったですね。
朝からフォーが食べられるとは。他もしっかりしていてよかった。

 

ベトナムの通貨「ベトナムドン(VND)」

100000ドン = 500円

はて、、、、


というわけで、観光スタート!!


と、いうものの…バイク多い。。。。。

そして横断歩道渡りにくい。。。
信号をみんな守ってくれないよーー

ホテルから、タクシーで
観光名所のベンタン市場に着きました。

あちらこちらから、我々を見かけると
「お姉さん安いよ買っていって~」という声がすごい。
日本人はどんどんお金を落としていくのかね。

まぁ、翌日のメコン川クルーズで行動するための
サンダルが欲しいなと思い、
市場のお姉さんゴリ推しのサンダルを買いました。
※でも、このサンダル今でもだいぶ役立ってる。ベランダ出る用やフラッと近所に行くために履いてる


その後は、統一会堂。
ベトナム戦争終結のシンボルとなった場所です。

 


今でも使えるのでは、と思える部屋やものが多かったと思う。

この屋上で、疲れて売店でジュースを買い、飲んでいたら
館員さんに何か話しかけられ、どうやら「下に降りろ」ということだったみたいで
降りたら、
なんと、午前・午後の間に「昼休み」があるらしく
いったん、閉館するだとか。
ベトナムは、こういった習慣がどこの店でもあるらしく、
訪れた店のレジの後ろで、普通に寝っ転がって眠っている人をよく見かけました。


次は、観光名所となる聖母マリア教会の前で撮影を。
きれいな建物だな、中には入らなかったけれども。

 

そこからすぐ近くに、中央郵便局という
これまたきれいな建物がありまして。

 

ここにも雑貨屋さん(お土産)があり
市場と異なり、落ち着いて買い物を楽しめました。
ここで、ブレスレットを買ったな。


郵便局から出て、友達の知人さんオススメというお店で
ランチを食べよう、ということになり、
そのお店に向かって歩いている途中…

…先に前を歩いていた友達の「叫び声」がしまして。
「ん?」と思い、見ると

友達の携帯(iPhone)が、バイクの人に盗まれてしまった!!!


今回、最大のピンチでした。
あらゆる罪悪感と後悔と混乱が自分の頭をよぎる。
ひとまず、言い出しっぺ(幹事)の自分として
何をすべきか考えたあとに、
いったん、ツアーの旅行会社の現地店舗に相談しよう、ということにしまして。

まず言われたことは、盗まれた携帯の回線を停止させよう、と。
なるほど。そりゃそうだ。

次に何か、というと
・保険が降りるのか、ということ
・携帯が盗まれたことで、友達が家族、職場の方と連絡が取れるのか、ということ
 実家暮らしの子なので、盗まれたからには
 ご家族との連絡が必要だったもので。
 (自分がもし盗まれていたら、職場でパートナーさん勤怠メールのCCの宛先に
  なっているので、それが受け取れないため、職場メンバーに連絡が必要だったかも。
  実家は、まぁ時々ヒマな時しか連絡しないしな。。。)
・盗まれ先で、携帯が悪用されないか、ということ


で、2時間くらい調べたり連絡したりして

>>・保険が降りるのか、ということ
→報告するだけで、OKだった!無事降りたそうです。
 ちなみに、保険証書を紙出ししておくのは大事らしい。
 今回、自分の場合、エポスカードについてるから大丈夫って、何も紙出ししてなかったからなぁ。。。

>>・携帯が盗まれたことで、友達が家族、職場の方と連絡が取れるのか、ということ
→貸出国際電話やPCのインターネットなどでなんとか解決

>>・盗まれ先で、携帯が悪用されないか、ということ
→これが驚いたのだが、iPhoneは、iCloud上で「紛失」モードに切り替え
 盗難された場合に、一切使えなくしてしまう、という
 機能がついているらしい
 (Androidの場合、どうできるのか、覚書として後で調べないと)
 

ということがわかった。
本当にどうしようかと思ったけど、ベトナムですべきことは
いったんすべてやったつもり。

後日、友達も機種変をしたとのこと。
保険金も無事に振り込まれたとのことで。本当に良かった。


この混乱に遭っている時に
道で、日本人好きのおじさまに話しかけられて
またドキッとしたのだけど、話するといい人で
「盗難なんてのはな、クスリやってるやつがやってるんだよ
哀しいね・・・」
と言ってました^^;

 

なんとかいったん落ち着きまして。
仕切り直し、旅行会社現地オフィス付近の
フォーのお店「PHO24」で、遅くなっちゃったけど、お昼。

おなかペコペコだったので、とてもおいしく感じました。
のですが、オプションで入れた青唐辛子が
想像を絶する辛さ!!!!!
ヤバいよヤバいよ~~~~

ということで、激アマアイスカフェオレを頼みました。
飲まなかったら、絶対死んでた。。。

けど、その後もこの唐辛子パワーで
帰国してから体重が結構減ってたんですよね。
カプサイシンと、歩きまくったおかげかな。
代謝が上がってよかった。


色々疲れたけど、本日の夜のメインとなる
ロンヴァン水上人形劇場へ。


先にチケット(18:30頃から開始)を買い、
ここからちょっと離れた店でお茶を。

で、公演が始まると。。。

 

大・大・大爆笑!!!!!

一同、最前列で見てましたが
人形劇の水が飛び散るは、最後には火花も飛び散るわ、
劇は短め16編ほどあり、
それぞれの話、すべてベトナム語で全くわからないのに
人形たちの動きが面白くて、話もよくわかりました。

ひったくりの衝撃がだいぶ抑えられたと思います。。。
とても楽しかった。
これはまた見てみたい。


人形劇をあとにし、ディナーへ。
たまたま昼間のフォー食べた店のお隣の、雰囲気のいい
外で食べるお店。

メニューが字だけという、海外スタンダードで
何かはわからなかったけど、まあまあおいしかったです。

 


ただ、帰国してから思ったのだが
ライスペーパーをふやかすための付け水が必要だったのでは。。。と思ったり
そうでない状態で食べたから、固かった(笑)

サイゴンのビールはおいしかったな~。

 

というわけで、様々な衝撃を覚えた1日目。
翌日は安全に気を付けて行動しよう。。。と思いつつ

2日目へ続く

丸亀製麺

最近、丸亀製麺に行くことにはまっていますー。

 

 

上記が看板メニュー「釜揚げうどん」。
並は通常290円ですが、
毎月1日は「釜揚げうどんの日」で、半額以下の140円になっちゃいます。

温かいうどんを、だしにつけて食べるシンプルなものです。
上記の天ぷら以外は、トッピングすべて無料。


こっちは、2016年秋現在、期間限定メニュー「牛すき釜玉」。

 


通常で「釜玉うどん」(並350円)がありますが
それに、焼いた牛肉がたくさん乗ったものです。

釜玉うどんがおいしいので、牛肉は要らないかなと思っていたけど
これが合う!ビックリした。
お肉がとてもおいしいです。


この店は、割引サービスが豊富で
まず、買うと必ず「うどん札」がもらえます。
うどん札を集めると

  3枚:トッピング無料
  5枚:天ぷら100円引
 10枚:うどん並が無料

というサービスが受けられる。
3枚と5枚の交換は経験済なので
次回は10枚のうどん無料をやろうと目論んでおります。


次に、丸亀製麺アプリのクーポンが豊富。
まぁ、マクドナルドと異なり、1来店につき、1個しか使えないけど。
でもそれで充分ですよ。
ネギとカスが取り放題ですからね。
天ぷら/うどん1個50 or 100円引き、とか。
まぁ大体、うどん札のサービスに近いです。


好きなメニューは「明太釜玉うどん」かなー。
カレーうどんはまだ食べたことないな。今度にしよう。
でも、今日釜揚げうどん食べてから、釜揚げうどんが
一番食べやすい気もしてきた。


初体験は9月の釜揚げうどんの日だったのに、
なんだこの押し売りは。
良かったら皆さん行ってみてください。

心のバリアフリー

今年、何かと、
「しょうがいを持つ人間」についての話題
などを、よく耳にする気がします。


1.養護施設での殺傷事件
2.毎年やっているある番組に対してケンカを売ったNHKの番組の件
3.リオデジャネイロ パラリンピック
4.とある方の不倫報道(最近、離婚されましたけれども…)


「しょうがいなんて全く関係なく、すべての人間が共存できる世界」
という定義が完全であるなら、上記の1~3の事柄は
存在しないような気がしていて、
むしろ、4件目のことが「ごくごく普通」に取り上げられたのは
意外でした(内容はゲスですが、取り上げられ方は良かったのかも)。

 

私は「しょうがい者」という方のことを認知したのが
おそらく4歳頃で、というのも
住んでいた団地の隣の棟で、親同士が仲良くしていた近所の子で
私より1つ年上にあたる女の子が、知的しょうがいを持っていて
体の成長も遅い、というかずっと小さいままだったのかな。
それが初めてでした。

他には、小学校の同級生にも何人かしょうがいを持っていて
同じく知的しょうがい、自閉症、などでした。
知的しょうがいの男の子は、給食の時間に、食べてはまれに戻し大騒ぎになっていたけど
キャラは面白い子で、エロ行動がひどいとか。
自閉症の男の子は、カンのペンケースをゲームボーイと見立て
ずっとエアゲームをやっていて、口でBGMや効果音をすべて自作自演で行っていたが
家では毎朝新聞をすべて読み、社説など暗記できるくらいの天才で
中学にあがると、国語の成績は事実、学年トップだが
他はすべて学年最下位だったらしい…という。

あと、うちの小学校、中学校のすぐ近くに養護学校があって(すべて同市立なのですが)
小学校の時は、昼休みに
養護学校の体育館で遊んでいい日があったりして。交流していました。
正直言って養護学校の体育館の方が、遊び道具が面白いものがたくさんあって
毎回行くのがとても楽しみだった記憶が。


中学校の頃まではそんな感じだったが
高校に入ってから交流などはなく、
電車で時々急にどこかから大きな叫び声なんかがあがってドキッとすると
しょうがい者の方が乗ってらっしゃったりしていたりと。


すると、高校になってから
団地内で引っ越して、しばらくすると
隣の棟に、知的しょうがいを持った男性の方がいらっしゃるご家族が
引っ越してきまして。
現在も住んでらっしゃって、実家に帰るとお見かけします。


大学の頃は、普通の日はほぼ見ませんでしたが、
教職課程で行った、養護施設実習の2日間の時に
小学校1年生の可愛らしい、知的しょうがいを持った子たちのクラスの
担当をしました。
ほぼ遊んでいる感じだったので、
上記の小学校時代の昼休みみたいなもんだと思っていた。


社会人になってから
ほぼ東京暮らしが始まると、全然見なくなったなーーという気がしました。
ごくたまに、身長が極端に小さい方々を見かけるけど。
実家に帰れば上記の方を見かけるくらいで。


なので、自分としては、小さい頃から時々、大声を出されるとハッとはするけど
いらっしゃるな、と思うくらいだし、
総括的な意味だと、しょうがい者の方ってのは
身近にいる普通の方、としか思えない感じですね。
人によってはすごい才能をお持ちだけど。

 

7月に、そんな方々の一部が過ごされている、とある養護施設で
殺傷事件がありました。
つまり、上記で言及した、私が大学時代実習を行ったような施設と
同じようなところなのかな、と。


話聞いてると、犠牲になられた方々の方が
よほど意識・志、高かったんでしょうね。

養護施設で働く方々は、しょうがいを持った方々が
どんな意識でいらっしゃるかを理解するレベルはプロ、スペシャリストだと思うし
一般人の我々にはわかりにくい事項もほぼほぼ飲めるのだと思います。
犯人も、最初はそんな能力は備わっていたのかもしれませんが。
どこか職業アンマッチがあり、見下すような思い込みから
魔の手に侵されたのかもしれません。

この事件によって、ご遺族、養護施設で勤務する方は
私の意見なんかではカバーできないくらい
拭いも拭いきれない深すぎる傷ができたと思います。
本当に、お気持ち、察します…
でも、本当に、その方々は「しょうがい者」をあらゆる視点で理解している
貴重なご意見をお持ちの方々です。
ゆっくり、ゆっくりでいいから、
バリアフリー社会を先導し続けていっていただきたいです。


なお、8月には
毎年やっているあの長時間番組に対して、NHKのとある番組が
ケンカを売るような企画をし、
そこで「しょうがい者の多くが、ああいう感動ポルノのような番組が嫌い」
と訴えたという。


「自分なんてこの世で一番不幸だし、報われない」と
自分の辛さしか見えなくなった時(自分のことしか考えられない時)に
あのような長時間番組を見ると
ハッとは思う機会にもなるかもしれませんがね。
若い子に至っては、好きな人気芸能人が呼びかけを行っているし
色々と知ってもらえるいい機会でもあるとは思うし。

ただ、結局は「しょうがいは『辛い』」けど
「人気芸能人の目」を通じて「『辛い』けど、みんながんばってるんだよ」
ということしか訴えてないんじゃないの?とは思われがちかも。
『辛い』かどうかは、本人が決めることであって。
この番組で、辛いレッテルを貼っているようにも見えちゃうし。
かき集めた募金も「○○に使用します…」
とか言うけど、本当かどうかはわからないし。
あれだけ長い時間の番組なのに出演者は本当にボランティアでやってるのかは疑わしいし。

 

そういうことだと、パラリンピックは理にかなっているのかなと。
いくら「人間平等」という定義はあれど
身体しょうがいを持っている人間といない人間が
同じハードルを越えられるとは、体調的に思えないので。
そこは、オリンピックとパラリンピックに分ける、ということにしたのでしょうね。

リオのパラリンピック、少し見ましたけど
すごかったですね。
しょうがいのない人より大変なのではないかと。
この人たちは
 ・義足や補助器具などが体にフィットする感覚をまず覚える
 ・その感覚の上での競技の仕方をマスターする
 ・体調管理
 ・練習
を、すべてやっているんだから。
その上で見ると、競技中の動きがダイナミックで驚きました。
走り幅跳びの選手だったかな。凄まじかったです。

 


事件が起きたり、意見を突き付けられたリして
一体、本当の答えって何なのだろうと思いますが、
何も考えずに、人間同士接していくことが
とりあえず一番だと思います。
ひとまず、個々の人生、個々で決めるべき。
人のこととやかく言う前に、
まずは一人一人、自分と向き合うべき。

試験に合格できました。

先日、Oracle社が扱っている
Java SE 8 Silver」の試験に、無事に合格することができました。

システムエンジニアとしては
非常によく扱う「Java]というプログラミング言語
文法や基礎的な処理方法などを問う試験です。
・試験時間  2時間30分
・問題    77問
・合格ライン 65/100 %
・コンピュータ選択方式

たぶん、多くの企業や官公庁が使用しているB to B/Cシステムで
Javaが組み込まれていると思われます。
あと、AndroidスマホアプリにはJavaが使われておりますよ。

私はJavaは新人の頃から知ってはいましたが、
本格的に現場でその設計から製造、テストなどをやるようになったのは
おそらく29歳の頃からですね。
でも、ずっと現場の使われ方から「なんとなくこういうもの」と
覚えるしかなかったわけで
何を最低限覚えるべきなのか、全くわからずここまで来てしまった感じです。


ただ、前の会社を辞める前後でずっと自己主張していた
「資格試験は苦手だ。嫌いだ。一生資格なんか取らなくていい」
という思いは強かったのですが、

特に、3月くらいで
前回の記事にも書いた、以前仲の良かった人に
嫌なことを言われた、という際
その一つに、Javaの技術のことで「これはこうでしょ」
と言われたこともあり、
かなり悔しいと思いました。

そもそもあなたに最初、Javaのツールの技術を
フレンドリーに教えたつもりなのに。
数年後に、仇で返されるとは。信じられない。
でも、実際、私も、Javaは断片的にしか知らない。
彼女も、まぁ(幸いその居心地のいい職場にいられるという環境があってこそだけど)努力して勉強したのだろう。

というフツフツとした思いと、
前回の記事にもちょっと書いた「勉強したい」という思いが
背中を押してくれたようです。


6月に、毎朝早めにオフィス近くのカフェにて勉強し
試験直前になると、仕事帰り、家でもやるようになりました。
最初はネットカフェとかでもやっていたけど
だんだん節約もあり、家でやれるようになってきて
それからはノート作りなども行い、わりかし捗りまして。

でも、なかなか制限時間内に解けなくて、全然正解もしなくて。。。
前日までは落ちるんじゃないかと思っていたけど。


試験当日は、「ムダな時間を作るのだけは絶対にやめよう」と
予め練っておいた対策を実施しまして。
実は、5月に1回目受験して不合格しており
受験会場の様子を知っていたので、生かせました。

・「スタート」ボタンを押下する前に、大きく深呼吸3回
・ノイズカットに付属のイヤーマフをする(頭も覆われ、落ち着く)
・手元のホワイトボードに、問題番号を全部書いておき、
1分考えこんだ問題番号に○をつけ、とばす

すると、○をつけたのもわずか4問の状態で30分余り、残り時間15分ちょいで4問もクリア。
見直しが10分だけできました。


試験が終わり、結果はすぐにメールで来ます。。。
トイレ済ませてから、ドキドキしながらメールを見て
指定URLを開き、ログインすると。。。

70%で合格!!しました!!


見たとたん、しばらく試験会場の秋葉原周辺で私は
「はーーよかったーー」の連呼をしまくっておりました。


今回の試験勉強で、合格できるかわからなかったも、
Javaの基礎的な勉強ができて「こういうこと知りたかったんだよな」と思え、
なおかつ苦手だった資格試験が久しぶりにクリアできて
本当にうれしかったです。
会社にもおめでとうと言ってもらえて、
そして…高い受験料もカバーしてくださいました。(28000円くらい。。。)

こういう意味でも、会社移籍してよかった。
前の会社では、二度と受験したいと思えないくらい憎しみで溢れていたので。

そこから、家の整頓をしよう、やりたいこといっぱいやろう、と
最近家の中もだいぶ片付いてきて、
次にやってみたいことの整理もついてきたりと。
想像以上に良かったです。


前からネックになっている別の試験もあるけど、それも合格できるよう
またがんばらねば!

2月からの新生活がひと段落して

なんと。来月でもう、早くも
2016年折り返し地点に差し掛かってしまいますと…
今、5月。GWのラストの前日と。

相当久しぶりの通常回ブログですが
今年はまだ、前の会社の卒業一人旅のことしか書いてなかった。。。
しかも、月に一度ペースと。
やはり、仕事が始まってしまうと
作業の忙しさにあまり関係なくブログを書かなくなってしまうんだな…
だからと言ってブログを閉鎖しようとは思わないけど。
長い文章を書ける場がここしかないので。


というわけで、2016年の通常ブログ第1回ですが、、、
前の会社を無事卒業し、2月1日から新しい会社の社員となりました。

会社としては新しいところですが
職務先は、3年前からお世話になって、度々出戻りをさせていただいているところに
再びまた戻らせていただいておりますと。
そこに入ってからももう3か月経ちましたと。。。早いもんですねぇ。

ただ、働き始めて、
いくつか(早くも)葛藤があり。
けれど、それは、私がこの現場に戻るまでのさなかに
経験したことがゆえに起こった葛藤だったのかも。
この現場はフレンドリーに接してくださる方が多いから
仕事が大変だろうと、常に戻りたいと思っていたのですが
ここに戻るまでに、過去このブログでも書いたような
とりわけ人間関係に関するつらい目にあったこと、が原因で
起こったのだったと思います。

簡単に言うと、以前この現場で仲の良かった人が
ちょっと冷たくなったなと。
私と離れている間に仕事ができるようになって
ちょっと上から目線をされたと私は思っているのです。
まぁ、向こうは正論なので、言い返しにくいんだけど
「もう少し人の話に耳を傾けようとしてくれないのか?」
「そんな細かいところまでこの段階で注意するのか、だったらなぜ
 もっと先方の段階で関わっているあなた自身がその件を見つめようとしなかった?」
と思わせるようなことばかりで。
嫌でした。
まぁ、ちょっと言い返せるような点は言い返したけど、
総合的に私はほとんど言い返さなかったと思います。
言い返しすぎると私の場合、どれが正論なのかよくわからなくなり
客観的に見れなくなると困るので、言い返さないことの方が多いのですね。


会社の皆さんにもこのことは相談して
アドバイスはもらったり、あれだけ今まで仲良くしていた人に対して
疑念を抱くような言い方を自分がしたものだから、叱られたりもしたんだけど
別に疑念とかじゃなくて、
ちょっと何かが間違っているだけでガミガミ叱るような人になってほしくない、
ということを相談もしてみたりとで。

でも、なんとかこの件がいったんおさまって
春からその人とは別のチームになってからも
会社の皆さんからは「大丈夫?」と度々声はかけていただくようになり。

と、いう風に
新しい会社の皆さんは相当私のことを気遣ってくださるようになりました。
前の会社では考えられない。
ほんと、前の会社ではこういう問題も「なんとかできるようになるといいねー」
だけ言って、結局何も解決しないし、
現場がこういうことで続かないのは、全部自分のせいにされてた。

今のところは、新しい会社の方々とはみんな仲が良く
毎月一度ある帰社(飲み会)では、私がしゃべると社員皆さんが私に注目してくださるようになりました。
前の会社でも帰社日あったんですが
単に会社のビルに社員が集まって、出さなければならない無駄な書類を書いて、出して
定刻までの時間、ビルから外に出ちゃいけないので適当に(ほとんどの人は伏せて寝るかおしゃべり)過ごして
終わる、飲み会は仲のいい人だけやる(私は仲のいい人がいなかったので帰っていた)、感じでして。
今の会社は、その社のビルでやる無駄な作業が全くなくなりました。
全部、社内常駐の事務の方々がオール代行してくださると。

そして、給料が上がった!!
前の会社では「運がよく昇進し、資格も持っている」人しかもらえない分が
この万年ヒラの私にも「能力給」として毎月プラスでつけてくださるようになりまして。
それは、3年前からこの現場でお世話になっているからだと思いますが。


2月1日から新社に入って、現場も本格的に復帰し
先日春先、復帰してから初めて携わった案件がリリースされ、無事終了し…
今はまた半年かけて行う案件に入っていますが。
趣味として続けているピアノや、最近励んでいるダイエットもあるけれど
久々に何か資格の勉強でもできたらなぁーーと、って、

久々に「勉強したい!」と思える気持ちが芽生えていることが嘘のようです。
前の会社にいた時は「勉強したいとこの会社にいて全く思えないしこの先も思わない」
と思っていたのに。

 

昔の気のおけない友人の多くが結婚し、申し訳ないので遊びに誘えなくなり、
遊べる友人は限定されるけど、そのみんなも誘える予定は限定されているし、
こうしてひとりぼっちで過ごすことが増える中でも
何かしら「やった!」と思えることが見つけられればなー、と
硬い体をほぐしてもらいながらコーヒーを飲んで思う日々ですが。

何か面白いことでもあればコラム的にこれからも綴っていこうかと思います。


※ひとまず、久しぶりにブログPCモードのスキンを模様替えしてみたと

会社卒業一人旅~第3回(FINAL)・鹿児島県鹿児島市・桜島~後編

<2日目 2016年1月27日(水)>

 

ホテルでの朝食バイキングに、たくさん鹿児島の郷土料理が出たのに

食べるのに夢中になって、撮影をすっかり忘れていました。。

鶏飯とかさつまあげとかたくさん。おいしかったー。

そして食べ過ぎてもたれてまた二度寝。。。

 

そしてようやく出発できるようになり。

とりまお水買っとけってことで 

どうやら九州で南アルプスの天然水を買うと、もれなく

阿蘇の天然水になっているもようです!

 

本日は桜島のほうへ向かうのですが。

クルーズ出発までに時間があるので港付近で撮影を。

 

この船に乗っていきます。

近くにはNHK鹿児島放送局が。

 

町中を走る観光ループバスには、西郷さんと篤姫さんのデフォルメが。

 

NHKの中に入ってみました。

ここでもさだまさしの番組やったのねと。

屋上の展示ギャラリーに来てみました。

展示ギャラリーから桜島がよく見える!

 

NHKを離れ、その付近のショッピングモールのお土産屋さん。

桜島の灰が缶詰にされて売っておりますが、

鹿児島県民の方々は「観光客さまにゴミを売るなんて。。。」という

考えだそうで(笑)

そろそろ出航のお時間。

毎朝11時過ぎの1日1回決まった時間にしか行われない

50分の「よりみち桜島クルーズ」に乗れました。

通常、15分で移動できちゃうフェリーですが、

50分かけてプラプラしながら桜島へ向かうという観光プランです。

フェリーの中にも大根あったし。

フェリー乗るときいただきました。

 

これがですね、桜島フェリー名物の

「やぶ金」のうどん。

ケンミンSHOWでも紹介されたとのこと。

おいしくて、15分フェリーの場合、出発の前くらいに買わないと

食べきれないし、行列を作って待つとか。

おいしかった。

前日の屋台村でも、みなさんに「あのうどんは食べたほうがいいよー」と

かなり言われたので、食べてよかったです。

 

そして、桜島に近づいてきた!!

到着しました。

 

ローソンの看板が茶色い!!

 

ファミマも茶色い!!

茶色くしているのは、桜島のイメージ(火山など)と

合わせているからなんだそうで。

中は普通のコンビニではありましたが、観光土産なんかもありました。

 

桜島はレンタサイクルで回りました。

免許あるくせに車は運転できないけど、私は自転車の運転だけは得意なのさー(笑)

 

コンビニで「ヨーグルッペ」を購入。

昔、都内のコンビニでもなぜか売っていのだけど。

パッケージのキャラの顔が怖すぎ。。

 

 

桜島ビジターセンターに到着。

 

ここでは桜島の歴史、噴火の歴史なんかを学べますかね。

 

そしてここからひたすら、展望台の方まで自転車をこぎ続ける。。。

灰が道に積もっていて、自転車がこぎにくかった。。。

この辺りは「桜島溶岩なぎさ遊歩道」という名前で

そこをずっと自転車でこいできたわけですが、

「遊」とは思えないくらい、結構道がキツかったような。。。

 

大根のライト

 

展望台ついた。。。

 

自転車を返却し、近くの神社によってみる。

印象的だったことは、

なぎさ遊歩道こいでる時が、ものすごく静かだった。

道がきつくはあったんだけど、ふと立ち止まると

本当に静かで、鳥のさえずりと水の音しか聞こえなくて気持ちよかった。

都会の喧騒って本当にすごいんだなと。

 

 

さて。

桜島から戻ってきて、再び鹿児島市内で お昼にしようかと。

 

これまた県民おすすめの「らーめん小金太」にしようとしたが

休み時間で入れなかった。。。

この辺りは、キャバクラなどが多そうな通りで

夜の方が開いてる店が多いみたいで。

 

いろいろと廻って、ここにした。

店名の通り、とろとろでおいしかったですよー。

とんこつベースだけど、肉が溶ける溶ける(食レポ)。

 

そろそろ観光の時間もおしまいに迫っているので

最後に、どこ見ておきたいかなーと思い、

五代様の像に行ってみることにしました。

この旅行の前の週(ロンドンに行っていた週)に

「あさが来た」で、五代友厚様が亡くなられて、

世の女性から「五代さまロス」が起こったあたりから

ちらほらこの像の撮影に来る人が増えたとか(笑)。

 

鹿児島中央駅はこのくらいひらけてる感じでした。

 

ラスト、出発前に

鹿児島空港で「黒豚のフォー」を食べてシメました。

野菜もたっぷりでヘルシーかと。

 

AKB48柏木由紀さんが鹿児島県出身ってことで

やたら看板やポスターを見かけました。

観光バスのアナウンスボイスにもなっていたり。

 

飛行機で無事に東京へ戻りましたとさ。

 

この次の週に、桜島が噴火した、ってニュースでやっていたけど

お約束通り、鹿児島県民の皆様は全然動じていなかったようで!!

 

 

松山、ロンドン、鹿児島、と、

許された間で有休消化して巡ることができてよかったです。

全部一人旅だったので

細かい発見も多かったような。

寂しいからなるべく誰かと行きたいんだけどさ。

でも、次はこれらの都市だったら人を案内することはできます(笑)。

 

次の旅までに、またがんばって働かないとですね☆彡